石橋湛山 <1884(明治17)年〜1973(昭和48)年>
生まれは東京だが、山梨の増穂・鏡中条・甲府で育ち、 中学時代(現甲府一高)に大島正健校長の感化を受ける。 早稲田大学を出て『東洋経済新報』の記者・ジャーナリストとして、 大日本主義(帝国主義)に抗して平和・民権・自由主義の論陣を張った。 戦後、政治家として第55代首相に就任し、期待されたが、 病のため2ヶ月で退陣。 徹底した平和主義、リベラルで強靭な個人主義など 学ぶべきところ大である。